水戸市にある吉田神社は、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祀っている神社です。また吉田神社は水戸藩の水戸光圀公とも縁の深い神社であり、桜の名所、そして茨城百景に選ばれるほどの景勝地としても知られています。今回は、吉田神社の基本情報と見どころについてお伝えします。
吉田神社ってどんなところ?
吉田神社は、485年~498年頃に創建されたといわれている歴史のある神社で、日本全国の日本武尊を祀る神社としてはもっとも古く、地元住民からは「吉田さん」という愛称で呼ばれています。鎌倉時代は、八ヵ郷150余町の社領を有しており、「常陸国三の宮」として大きな力を持っていました。吉田神社の境内には、吉田神社の御祭神である日本武尊が祀られている本殿、神様にお供え物をする幣殿、神楽や舞楽を奉納する神楽殿、参拝者が願・拝礼などをする拝殿があります。また、悪いものが入ってこないように2つの神像を安置してある随神門、学問の神様である天満天真(菅原道真)が祀られている天満宮、その他、祈祷などの受付をする参集殿、手水舎、社務所、日本武尊御遺蹟があります。ご利益としては、交通安全、縁結び、商売繁昌、学業、家内安全、安産に効果があるといわれています。
アクセス
電車・バス利用の場合
・水戸駅北口3番乗り場から(台町方面経由バス)で「吉田神社前」下車、徒歩200m
・戸駅南口2番乗り場から(吉沢車庫行き)で「吉田神社前」下車、徒歩200m
車利用の場合
・常磐自動車道・水戸ICから約30分
・北関東自動車道・水戸南ICから約15分
吉田神社の見どころ
日本武尊の足跡を伝える「日本武尊御遺蹟」と「日本武尊御着船の碑」
日本武尊御遺蹟は、日本武尊が東征の際に立ち寄って休憩したといわれている場所です。日本武尊御遺蹟は、三角山とも呼ばれており、吉田神社の境内にある見晴台の一角を占め、神聖な場所として伝え残されています。また、日本武尊が東征時に船をつけたとされる「日本武尊御着船の碑」も見られます。「水戸黄門」の名で知られる水戸光圀公は、日本武尊への尊崇の念が強く、本殿(神明造)拝殿・神殿・神楽殿・宝蔵・階・玉垣等を古い方式に則って造営して、八乙女、神楽男5人を置いて盛大に祭祀を行ったといわれています。
桜や縁結びの笹などの豊かな自然
吉田神社の境内には、見事なしだれ桜があり、毎年の桜の季節には「観桜野点茶会」が行われてます。野点には野点傘などが用いられ、釜から沸かしたお湯で実際に茶を点てて、本格的な茶を楽しむことができます。水戸光圀公自らがその手で植えたと伝えられる榊や、水戸市の保存樹に指定されている推定樹齢300年のケヤキもあります。この他、笹の葉を結ぶと良い縁に恵まれるといわれている「縁結びの笹」があります。
吉田神社の秋季祭礼(市指定無形文化財)
吉田神社の秋季祭礼は、10月15日に近い金・土・日曜日の3日間にわたって実施されているお祭りです。歴史的・文化的にも価値の高い祭りとして水戸市の無形民俗文化財に指定されています。1日目に行われるのが例大祭の神事と夜祭で、11時に社殿にて例大祭が執り行われ、18時からは神社境内にて山車が集まりお囃子の演奏と山車の競演が行われます。2日目の神幸祭では、拝殿を出たお神輿が神社境内の「日本武尊御遺蹟」を3周回った後、吉田神社の特別な神事である三角山神事を行います。三角山神事は、聖域の前で神幸祭を行うことを奉告するとともに、神輿が戻ってくる(還御する)までの無事を祈る神事です。この三角山神事が終わると、御神体が乗せられたお神輿は直ちに出発し、神幸行列として台町・一里塚から駅南・本町から細谷舟渡の那珂川岸を巡り、さらに城東・竹隈を通って仮殿に一泊します。神幸行列には7基の山車と「台町のささら」も加わり盛大な行列となります。3日目は仮殿にて仮殿発輿祭が行われた後に出発して、旧材木町・旧裡町・旧江戸町を通って神社に戻るという還幸祭が行われます。このお祭りは、日本武尊とも深い関わりがあり、細谷町舟渡の那珂川岸を渡るのは現在も古来からの様式に則って行われています。
茨城百景に選ばれた見事な景観
三角山の一角は見晴台と呼ばれ、ここからの見事な展望は茨城百景の1つに選ばれています。茨城百景の内でも、特に優れた場所であるといわれている理由として、この高地からは水戸市全体だけでなく近くは勝田市や湊の反射炉、遠くはなだらかに雄々しく起伏する阿武隈山脈の雄壮な景観がうかがえることが挙げられます。
さいごに
吉田神社は、1500年以上も昔から続く大変歴史のある神社です。茨城百景にも選ばれているほどの景勝地もある、水戸を代表するスポットです。水戸市を訪れる際は、美しい自然や景観、水戸光圀公由来の榊に縁結びの笹などさまざまな見どころのある吉田神社に足を運んではいかがでしょうか。