1945年3月から約3ヵ月に渡って続いた沖縄戦。日本軍が本土決戦の準備期間を稼ぐための持久作戦として勃発し、島の住民たちを巻きこんで悲惨な地上戦が繰り広げられました。忘れてはいけないその沖縄戦を象徴するひとつが、沖縄本島・南部にある「ひめゆりの塔」です。今回はひめゆりの塔についてご紹介します。
ひめゆりの塔とは?
ひめゆりの塔とは、第二次世界大戦末期の沖縄戦に看護要員として動員され命を落とした「ひめゆり学徒隊」の鎮魂の塔のことです。終戦の翌年1946年に建立されました。敷地内には1989年に開館した「ひめゆり平和祈念資料館」があり、戦争の悲惨さや平和の尊さを学ぶ平和学習の場となっています。
ひめゆり平和祈念資料館は、6つの展示室で構成されています。軍事化教育が行われていた当時の学校生活を伝える「ひめゆりの青春」からはじまり、未来へ平和をつなぐ「平和への広場」まで、時系列でひめゆり学徒隊の足跡をたどります。
各展示室には、当時の写真や病院壕の実物大模型、遺影や遺品、生存者の証言映像、手記などを展示しています。100インチのスクリーンを備えた多目的ホールでは元ひめゆり学徒による講話や証言ビデオの上映(団体利用向け、要予約)が行われており、VTR室では証言ビデオの視聴が可能です。
ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館の料金・開館時間
料金
入館料:大人310円、高校生210円、小・中学生110円 ※団体割引あり ※6月23日(慰霊の日)は入館無料
開館時間・定休日
開館時間:9:00~17:30(入館は17:00まで)
定休日:年中無休
ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館のアクセス
住所:沖縄県糸満市字伊原671-1
アクセス:【バス】那覇バスターミナルより34番または89番で糸満バスターミナルへ(所要時間約30分)、糸満ターミナルで82番・107番・108番のいずれかのバスに乗り換え、ひめゆりの塔前下車(所要時間約15分)、【車】那覇国際空港から約30~40分
ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館の見どころ
第2展示室「ひめゆりの戦場」
看護要員として招集があった当時、自分たちが配置される南風原の沖縄陸軍病院は、安全な建物の病棟だと思っていた少女たち。ところが、送られたその場所は、丘の斜面に造られた土がむき出しの横穴の壕で、中には簡素な2段ベッドが置かれただけの施設でした。
第2展示室では、その病院壕のジオラマや、元ひめゆり学徒隊の生存者の証言を通して、ひめゆり学徒隊の活動、負傷兵の実態を明らかにしています。40年後に発掘された医療器具、生徒たちが戦場に持参していった品々なども展示しています。
第3展示室「解散命令と死の彷徨」
ひめゆり学徒たちの多くが命を落としたきっかけは、米軍が間近に迫った1945年6月18日夜にだされた「解散命令」。生徒たちは米軍が包囲する戦場に放り出され、解散命令後のたった数日間で100余名のひめゆり学徒が亡くなりました。
第3展示室では、米軍のフィルムや生存者の証言を基に、命の分岐点となった重要な場面を紹介しています。
第4展示室「鎮魂」
第4展示室は、ひめゆり学徒隊の鎮魂のための空間です。一人ひとりが生きた証として、200余名の遺影が壁面にかけられており、自由に読める生存者の証言本を設置しています。また、ひめゆりの塔のすぐ傍にある「伊原第三外科壕」の実物大ジオラマ展示もあります。伊原第三外科壕とは、陸軍病院第三外科が撤退後に身を潜めていた壕のこと。その壕の中にはひめゆり学徒を含む陸軍病院関係者、通信兵、住民など、およそ100名がいました。解散命令後の6月19日の早朝、伊原第三外科壕は米軍のガス弾攻撃をうけ、80名余りが亡くなりました。
さいごに
美しい海や神聖な森が広がる、観光名所が盛りだくさんの沖縄。いまでこそ賑やかな観光地になっていますが、かつては悲惨な歴史がありました。「ひめゆりの塔」は、今や未来をよりよくするために、平和とは何かを問いかける貴重な場所です。お子さんがいる家族はもちろん、大人の方も足を運んでみてはいかがでしょうか。
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